2018年より淡路島の五色町へ家族で移住し、小さな生活圏での百姓になりたい。

固定種から綿花栽培 衣になるまで① 私の綿花栽培が始まるまで。

東京都下の小さなお寺で育った私は裏の山を駆け回るか、部屋で機織りをするか。

そんな幼少期を過ごしました。

食事は祖父の畑でとれた野菜。精進であり質素がモットー。

お寺だからそれで足りるのです。食事は心が大事なのです。

その野菜達に母が調理という技術と彩りを与えてくれます。子供が喜ぶように。

纏う衣は母の作った綿の服。浴衣はもちろんシャツからTシャツからスカートからパンタロン、、、

シングルマザーなのによくしてくれたもんだ。とたまに思います。


衣食住という営みの根本が幸いにも素朴で愛情に溢れたものだったと人生半分過ぎてしみじみ思い返しています。


学生期などは電車に30分乗れば渋谷109はあるし、新宿アルタもある。

流行病という言葉があるように時代に流された洋服を友達と街に出て買うのが楽しい。

一度は納得して、自分の本当に好きな服、似合う服を探したいものです。


20代前半都内で暮らしている時は物が溢れ情報が溢れ人に溢れ全てに飲み込まれてました。

ヒッピースタイルもボヘミアンスタイルもジプシースタイルも素敵。

ダンスもして中東に首ったけになりましたがやはり根っからの日本人体型の私には好きを超えられないものが多数ありました。


子孫繁栄、豊穣の象徴の大きな臀部もなければたわわな乳房も持ちあわていない。

ダンスをする上であると圧倒的な美を演出できる湾曲した弓状の背中もない。


弓の先生が袴を着ている時に着物の似合う背中ねっという一言に救われたのを覚えています。

ヨーガでもダンスでもこの平背で叶わぬ事があったのに。


さて独り言は置いといて

衣という点では着心地、植物繊維かどうか、身丈に合う物、自分の動作に合う物など纏う衣をちくちく作り始めました。

機織りしに日本各地にも赴きました。

海外に行くたびに機織り産地を巡ったり市場を回り100%植物繊維の布を探し求めるようになりました。


そうそう、化学繊維の歴史は

1903年 内国勧業博覧会「人造絹糸」として「レーヨン」出展

1918年 秦 逸三さんにより日本で初めてレーヨンの製造に成功。

1958年 「ポリエステルの」生産開始。


シルクは高価で手が届かないという背景から誕生したポリエステル

当時はとても品質のクオリティが低かったため、あまり使う人もおらず「シルクのまがい物」という認識でしたが研究が進み80年代頃からポリエステルが盛んになったようです。

昔の写真を見ても、この頃から母の洋服がガラッと変わっています。

ポリエステルは虫に食われにくい、シワになりにくい、プリーツが取れにくい、

事に加え耐久性にも優れていることで広く使われるようになったようです。

当時のプリントは確かに心揺れるプリント柄の多い事。。


ポリエステル100%の素材も多くありますが、コットンやウールに混ぜ込むことで自然の肌触りを損なわず

耐久性を出させるなどの工夫が現在では当たり前☆

1980年代頃から世に出てきた化繊達。経済も時代も流れていきます。


結婚した当初機能性を重視した登山服をよく着ていた主人の買い物について行き、

コーディネイトを変え少しづつ家の中から化学繊維をなくしました。

家の中にある布を植物繊維にしたら家の埃はなくなりました。

主人も化学繊維を着なくなり、生まれてきた子供達にも安価でないものの

植物繊維の柔らかく、安心素材を纏わせてあげることができました。

 

普段から口癖のように布が触りたい、布が好きだと言っている私は

淡路島に引っ越してきてとうとう夢の綿花栽培を始めることができたのです。

綿花栽培 収穫 糸 染め 機織り 和裁 服と文章でパーツ分けしてみても

いざ始めてみると全ての作業は繊細な工程が続き今なお色あせることなく私の傍に

作業の宿題が溜まっています。


2019年。放棄地に綿花栽培開始です。土は肥沃で硬盤層、水は雨水のみ。

種は

藤田種苗さんの茶わた

グリーンフィールドプロジェクトの大島在来種

日本棉業復興会USA白綿

千葉県の布団屋さん白綿

淡路島の人から受け継いできた種

Tohokuの白綿

手に入る固定種の種を植えてみてこの土地で生き抜いていくものを探し始めました。

発芽率は80%。命強いです。

交雑も避けたいのとそれぞれ株間間隔の違いもあるしそもそも自然栽培、同じ条件下で育つはずもなく、水がないのは皆一緒です。

害虫と囁かれているアワノメイガにドキドキしつつ、害虫よけ台風や強風よけに周りをソルゴーで囲みました。

近くのソルゴーなしのとうもろこしにはアワノメイガがいっぱいです。

もしゃもしゃ。功を奏して綿花への虫の被害は一つも会いませんでした。

ソルゴー様様と思いましたが隣の山から大雀蜂の散歩道の途中のソルゴーだったため

朝方と夕方は大雀蜂との遭遇が多すぎて2年目からソルゴーはやめました。


綿花移植後根切虫にやられ、株元の草刈って敷き藁しいて梅雨時期の根腐れは難を逃れスクスク背も伸び摘芯もしました。

夏の日照りで数カブ乾涸び、花つきの心配しながら株数も減っていきました。

八月中旬過ぎにとうとう綿花芽吹き12月初旬まで収穫を楽しめました。


初年度は最終的に大雑把ですがこんなとほほな数字が出ました。

2019年。

白綿 30株→13株 140g(綿繰前)

茶綿 63株→18株 210g(綿繰前)

他100g位は人に譲り、200gは欲しい方に販売しました。


水はなくとも生き抜いた種を今年植えるのです。

種の命を繋いで毎年少しづつ増やしていくのです。


次回は2020年。

栽培の様子と

綿繰りとハンドカーダー。

 

 

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